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甲斐バンド、甲斐よしひろの音楽を通じて、感じたことを・・・
by モンライダー2号
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甲斐バンド
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想いを馳せて~その9(安奈)

ボクは「HERO」がキッカケでファンになったわけじゃない。
ベストテン騒動の時、たまたま「HERO」を熱唱してる甲斐をTVで見たけれど、印象としてはようやく出られたんだという位だった。
当時、ボクは高校生ながら恋愛をしてて、その終わりを告げると同時にラジオから「安奈」が流れてきて、印象的だった。
当時の高校生にとってはラジオほど強い味方はなかったからね。
甲斐バンドの「安奈」ではなく、「安奈」という曲とその詞、メロディが好きだったんだ。
その直後だったかな、甲斐の離婚騒動は。
印象としては最悪で、その後「破れたハートを売り物に」に出会わなかったら、甲斐を聴くこともなかっただろうと思う。

数年後、BIG GIGで「安奈」を体験したけど、この時ファンでもなく、アルバムに収録されていた曲でもない曲で唯一歌えた曲が「安奈」だった。

甲斐バンドはよくロックだというけれど、それはロックを目指していたということで、根っこはフォークにあったと思ってる。
フォークを厳しく言い放ちながら、フォークとはこうやるんだと示していたように感じている。
大森さんのギターが印象的で、これがなければ成立しない曲でもあった。

今では頻繁に演奏されるこの曲。
「安奈」と「安奈2012」は別物で、後者が演奏されてるということ。
でも、「安奈2012」のアレンジは甲斐がソロになった時、既に演奏されていたのだから複雑な気分でもある。
「安奈」は、甲斐のキャリアの中でも希少価値を持たせてほしかった。

♪ 安奈 おまえの愛の灯は まだ燃えているかい

 寒い夜だった つらく悲しい 一人っきりの長い夜だった
 北へ向かう夜汽車は 俺の中の心のようにすすり泣いてた
 そんな時 おまえがよこした便り ただ一言だけ“淋しい”って綴ってた
 安奈 クリスマス・キャンドルの灯は ゆれているかい
 安奈 お前の愛の灯は まだ燃えてるかい

 眠れぬ夜を いくつも数えた おまえのことを 忘れはしなかった
 それでも一人で 生きてゆこうと のばせば届く愛を こわがってた
 安奈 寒くはないかい
 お前を包むコートはないけど この手で暖めてあげたい
 安奈 クリスマス・キャンドルの灯は ゆれているかい
 安奈 お前の愛の灯は まだ燃えてるかい

 二人で泣いた夜を 覚えているかい
 分かち合った夢も 虹のように消えたけど
 
 お前のもとに今 帰ろうとして 今夜 俺は度を始める
 クリスマス・ツリーに灯りがともり みんなの笑い声が聞こえる頃
 安奈 お前に会いたい
 燃え尽きたろうそくに
 もう一度 二人だけの愛の灯をともしたい
 安奈 クリスマス・キャンドルの灯は ゆれているかい
 安奈 お前の愛の灯は まだ燃えてるかい       ♪

 (作詞作曲:甲斐よしひろ)
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# by mon1011s | 2017-01-18 21:37 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その8(ダイナマイトが150㌧)

カバーされた曲だということを、しばらくの間、ほとんど知らなかった曲。
初めて聞き込んだアルバム『破れたハートを売り物に』に触れた時、この「ダイナマイトが150㌧」は甲斐バンドの曲だと思い込んだところから始まってた。

原曲にかなり効果的に手を入れられており、原曲の作詞家:関沢 進一とは話がついていたということは随分前に聞いたことがある。
作曲家:船村 徹との間でも当然のように話がついていることは曲を作るプロとしては至極当然の事。
ただし、それがおそらく口頭だけだったということが痛かったように思う。
ステージ上で取り上げられ、かなりアレンジを変えて演奏されることはあっても、動画として或いはライブアルバムの1曲として残されることはなかった。
だからということではないけれど、聴き手の記憶によるところが大きい。

2枚目のアルバム『英雄と悪漢』から曲に漂ってた要素、ハードボイルドがこの曲では顕著になってる。
若い頃って、こういう世界観に憧れたりしないだろうか。
少なくともボクはそうだった。
郷愁めいた雰囲気の中にあるしっかりした芯のようなものは、郷愁だけで済ませていれば軟弱になるところ、そうではないところへ駆けあがっていく大事な要素だった。
2拍子2拍子で刻まれる単純とも思われるリズムも、この曲の魅力を出している。
先にも書いたアレンジャーとしての甲斐の素質を感じる1曲で、これだけライブ映えの擦る曲もそうないだろう。

ただ、甲斐バンド時代に演奏されたこの曲と解散後に演奏されたこの曲は別物。
そこを履き違えない様にしないと魅力は半減する。
甲斐バンド時代にはなかったパワーが解散後に感じられるのは、この魅力を一つ上げたなと思ってる。

♪ とっぽい野郎どいていな すかした間抜けめ 気をつけろ
 しゃくなこの世のカンシャク玉だ

 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが150屯
 畜生 恋なんてふきとばせ

 惚れても無駄さ あきらめな どっこい涙は 禁物さ
 胸につまったカンシャク玉だ

 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが150屯
 スカッと器用に咆えてみな

 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが150屯
 畜生 恋なんてふきとばせ

 クールな野郎どいていな 死にかけた奴らも 気をつけろ
 しゃくなこの世のカンシャク玉だ

 ダイナマイトがヨ ダイナマイトが150屯
 畜生 器用に咆えてみろ                  ♪

 (作詞:関沢 進一、作曲:船村 徹、編曲:甲斐バンド他)
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# by mon1011s | 2017-01-17 20:20 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その7(天使(エンジェル))

もう何年前になるかな。
大学4年ももう終わろうとしていた3月。
卒業旅行として友人と一緒に九州旅行に出かけた。
東京から新幹線で福岡に行き、乗り継いで大分は別府についた。
この旅行は宿を予約しないで電車を下車するところだけを大まかに決めていただけの旅行で、別府で下車して最初に行ったのが、宿探しだった。
でも、別府では予想外に早く宿が見つかったので、宿に荷物を置き、まずは別府湾岸まで行ってみた。
一目でわかる別府タワーは見た目で古そうそうな感じがけど、ここまで来たからタワーの展望台まで行ってみようということになり、展望台まで上がってみると今ではほとんど見ないジュークボックスがあった。
コインを入れる前に、ジュークボックスに入ってる曲を見てたら、何故か甲斐バンド・天使(エンジェル)があった。
まだ、甲斐バンドを聴き始めて数年しか経ってないこの時期、アルバムに収録されてない曲で聴いたことのない曲があったりしたので、コインを入れて天使(エンジェル)を選曲した。

アレンジの軟弱さに愕然としたことは、よく覚えてる。

天使(エンジェル)は、しばらくの間、この別府タワーで聴いたきりで、全く聞いていなかった。

九州旅行の最終日に甲斐バンド解散をしることになったけれど、それを追いかけるように最後のアルバムとなった『REPEAT&FADE』が発表となった。
珍しく発売と同時に購入したけれど、甲斐PROJECTはカバー曲ばかり。
だけど、アレンジはかなり手を入れられていて甲斐の音楽センスを窺えるものだったと記憶してる。
「オクトーバームーン」がかなり良かったけれど、いい意味で驚いたのが「天使(エンジェル)」だった。
あの別府で聴いた曲とは同じと思えず、メリハリの効いた曲調とアレンジにはかなり驚かされ、しばらくの間新曲だと信じて疑わなかった。

『翼あるもの』というカバーアルバムがあったけれど、このカバーアルバムは結構後から知ったもので、カバーと言えば「ダイナマイトが150㌧」だと思うけれど、この曲はカバーというより詞自体もかなり手が入れられ、アレンジも斬新さが顕著だったこともあり、カバーというより甲斐バンド自体の曲のイメージが強い。
だから、「天使(エンジェル)」がカバー曲と知った時は、こういうカバーができるとはと余計に感嘆したもので、今でも大好きな曲となっている。

甲斐は、当然のように作詞作曲をやってるけど、こうしてカバー曲を聴くとアレンジャーとしてもかなりのセンスを持っていたんじゃないかと思う。
今では、その欠片も見当たらないのが残念でもあるね。

♪ きれたKENTの箱を 指でひねって 車の座席に身をしずめ ため息ついてる
 さっき別れたはずなのに もう思い出してる 窓の雨滴の向こう
 笑顔で手を振る あの娘が消えてく

 エンジェル 天使は空から来るなんて うそっぱち 
 俺らの天使は エンジェル
 ある日突然 通りの向こうからやって来た

 テレフォンコールは二度目に 切るのが合図さ
 くちぐせいつでもけだるい あいづち打つばかり
 くすり指の指輪に 興味があるほど 少女でもないし そんなに重たい愛でもないさ

 エンジェル 天使は空から来るなんて うそっぱち 
 俺らの天使は エンジェル
 ある日突然 通りの向こうからやって来た

 ビルの谷間の夕暮れに なぜか切なくなって
 さびれた映画館の片隅で あの娘抱きしめた
 使い古しのラブ・ストーリー 臆病な俺らにも
 ちょいといかした青春と ロマンス少し 分けてくれないかい

 エンジェル 天使は空から来るなんて うそっぱち 
 俺らの天使は エンジェル
 ある日突然 通りの向こうからやって来た          ♪

 (作詞作曲:甲斐よしひろ)







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# by mon1011s | 2017-01-14 22:37 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その6(BEATNIK)

甲斐バンドを知るにつけ、気にいったことの一つにファンクラブがないことがあった。
とにかく、ファンクラブに抵抗のあった身としては、こんなに独特の世界を作り、ライブであんなにも盛り上がる雰囲気を出す彼らにおきまりのファンクラブがないのは、これ細うれしいことはなかった。
自分が甲斐バンドのライブに行き始めたのは1983年だから、その頃にはもう機関紙BEATNIKは発売されていた。
アルバムを買ってみても気が付かず、、、というか貧乏学生だったので発売と同時に買えなかったし、レンタルされているものを借りるしかなかったから、 やり繰り算段で生活費だったバイト料の中からライブ参加費をひねり出し、ライブ会場のチラシかなんかで機関紙が出されてることを知ったんだよね。
月1回だったのかな、この機関紙の発売は。
なんとか定期購読できるようになったので、愛読してた。
言葉の響きがいいし、なんと言っても想像の域から出てなかったものの、BEATNIKという造語が甲斐バンドに似合ってると思い込んでいた。
このBEATNIKという造語の意味は何だろうと思った時、当時ソ連の打ち上げロケットの名が語尾にNIKという言葉がつけられていることには気が付いていたものの、本来の意味は、、、と思った時、機関紙BEATNIKで知ることになったと記憶してる。

BEATNIK-----アメリカに一群の"新しい"若者達が登場し、 既成の社会通念を排除してありきたりの生活を拒否し、自分たちの自由意志のままに生きようとする若者達で、BEATNIK、彼等はそう呼ばれていたらしい。
"BEAT"とは<叩く、うちひしがれたの意味で、"NIK"とは当時世界ではじめて打ち上げに成功したソ連の人口衛生スプートニクに由来している。

自分の記憶も満更じゃないなと思いつつ、この機関紙は1981年から1986年の解散時まで発売されていたらしい。
どこか知る人ぞ知るという感じが強く、いわゆる昭和軽薄体ではない人を象徴してる様な感じがした。
それはこれだけマスコミ等の電波紙面に載らず、アルバム発売とライブ活動を重要視していた彼らにとって、ファンクラブなど、その結成にかける時間も思いも不要だと言ってるようで、これが甲斐バンドは語られるバンドと呼ばれる伏線にもなっていた。
ファンからの投稿ではなく、それ以外のところを読み込んでいたように記憶してるけど、この機関紙には甲斐バンドのマネージャーであり、もう一人の甲斐バンドと呼ばれた佐藤 剛氏が出てきたこともこの機関紙に夢中になった大きな要因でもあった。

アルバムにかけ、ライブ活動にかけて感じていた彼らの想いに触れられたような気分になれることが、とにかくうれしかったと記憶している。
そういや、この機関紙の名でモノクロの写真集も出ていたんだっけね。






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# by mon1011s | 2017-01-13 20:48 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その5

本格的に、そして前のめりにライブを体験したのは、もちろん甲斐バンドが初めてだった。
観客の盛り上がり、一つ一つの楽曲とライブの流れ。
どれも驚きと感嘆することばかりだった。

思えば野外ライブは、BIGGIGだけとなってしまった。
箱根の湖畔のライブや花園ラグビー場でのライブなど、今ではDVD等で推し量ることはできるようにはなったけど、当時はそんなものはなく、体験できたことが脳裏にどれだけ残っているかだけが頼りだった。
野外ライブだけではなく、毎年年末の恒例行事みたいになっていた武道館2日間連続ライブ。
新国技館のこけら落とし。
そして、解散ライブの武道館5日間連続公演。
武道館5日間連続公演は、ボク自身が社社会人1年目であったこと、ライブの行われた時期が春先から初夏の目の前という時期であったため、時間を自分の思う通りには操れず、解散ライブという名のライブは2回ほど行けたけど、武道館5日間連続公演は最終日の参戦だけであった。
黒澤ライブスタジオのライブについては抽選ということもあったけど、甲斐バンドラストライブは武道館でお終いと決めていたので、抽選に申し込みすらしなかった。
でも、そうしたことも含めて後悔などしていない。
何故って、充実した気分にされてくれたからだ。

苦しかった学生時代、学費も生活費も自分で働いて稼いでいかなければならなったこともあって、自分の時間をもつことも苦しく、その少ない時間をどう過ごすかは自分にとって大きなテーマだった。
社会人になってからも、まずは仕事を覚え、一般社会に慣れることが主眼であり、自分だけの時間の充実度はそれだからこそ重要だった。
いろんな思い出がある。
そこに楽しみと充実度を高めてくれたのは、甲斐バンドのライブであり、新曲の発表と期待にそぐわないことのない出来栄えだった。

ほとんど、いつライブに参戦できるのかが当時の大きなテーマであり、参戦できるとなるとどういう曲の攻勢になるかに思いをはせることが何よりの楽しみだった。

ハードボイルドとよく言われたこの時期。
ステージ上であまりしゃべらず、曲を歌い演じることに専心していたかのような当時の甲斐のスタイルは、しゃべらないからこそ、こっちに訴えかけてるようなものがあり、それがなにより想像を掻き立てられ、気持ちが充実させられた。
時代を裏切ることなく、それでいて逆説的な表現は、時代の一歩先を行ってる様な感覚にもさせられた。
これがなんともいえない雰囲気と感覚を演出してくれた。
そして、これは甲斐がソロとなってもしばらく続いていった。

BIGGIG前後からアルバム『エゴイスト』の前の頃まで。
この時期が最も輝いていた時期の様に見えていた。










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# by mon1011s | 2017-01-10 16:34 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その4(東京の冷たい壁にもたれて)

甲斐バンドを体験し、貪るように過去のアルバムを遡って聞いた時、アルバム『英雄と悪漢』まで行き着いた。
もちろん、お目当ての「ポップコーンをほおばって」のスタジオ録音のものに興味があったわけだけど、それとは別にとにかく気になったのが、「東京の冷たい壁にもたれて」だった。

その何年か前に大学受験で上京した時、東京という場所の奥深さと広さを感じて、初め街が怖いと感じてた。
田舎者ということもあったし、状況したときは浪人していて、自分のアパートと予備校の往復ではあったけれど、得体のしれないところだということは感じてて新宿から南の方には行けなかった。
まあ、浪人だから遊ぶなんてもってのほかではあったけれど、それでも暗闇に引き込まれそうな感じはあった。
甲斐は多分、この曲は上京してから書いた曲なんだろうと思う。
デビュー前は福岡に致し、コンテストで一時的に東京に出てきたことはあったにせよ、それだけでこの曲は書けなかっただろうと思うからだ。
状況前の恋人がモチーフなんて言われてる向きもあるけれどm¥、歌詞を読んでるとどこか違うものを感じる。
甲斐バンドとは・・・というイメージにようなものを懸命に表現するため、甲斐の頭の中で描かれた東京という印象と思い、そこに恋愛のエッセンスを巻き込んでワールドを作り上げた、という感じかな。
まったく無縁ではないだろうけど、まだ二十歳にもならないこ怖いもの知らずの男が、これまた幼い恋人に向けてこんな詩が書けるというイメージがない。
しかし、上京して自分の姿を曲を書こうとしたとき、東京という街の冷たさ、高さ、厚さみたいなものはいい具合に表現されている。

1984年の武道館公演だったかな、初めてライブで体験したのは。
これも東京に馴染んで都会化してしまった甲斐バンドは、実はこんなところに原点の一つがあったんだという感じがして、記憶に残っている。

♪ 東京の冷たい壁にもたれて 1メートル君は 60センチ
 とてもステキさ

 それは君にとってはただの遊び文句 本気でまにうけたのはこの僕
 だけどステキさ

 燃える体寄せあって くずれていった
 あのFうそっぱちの夜 

 恋の終りもあきらめも知っていて
 君に捧げる唄を歌いつづけてる 
 ばかな僕さ

 わがままとののしりを君が投げつける
 君にはおかしいだろう本気の僕が
 ばかな僕が

 燃える体寄せあって くずれていった
 あのうそっぱちの夜 

 燃える体寄せあって くずれていった
 あのうそっぱちの夜

 東京の冷たい壁にもたれて 1メートル君は 60センチ

 とてもステキさ
 とてもステキさ                 ♪


(作詞作曲:甲斐よしひろ)







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# by mon1011s | 2017-01-08 17:51 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その3(マッスル)

ボクが初めてライブに行ったのはBIGGIGだと何度も書いたけど、そのライブは当時の最新アルバムであった『GOLD』からの選曲が多かった。
当時はそんなことも知らず、ライブ終了後の数年は甲斐バンドのアルバムをむさぼるように聞き込んでいたことを思い出す。
ライブでの観客へのインタビューを聴いて、そうだよなと思ったのはアルバム『GOLD』の珠玉の曲は「マッスル」だったということ。
この1983年の年末に行われた武道館公演だったのか、翌年の武道館公演だったのかは思い出せないけど。この曲はBIGGIGで演ってない曲だと前置きして、武道館公演の終盤で演奏された。
これだよ・・・そう思った。
骨太なイメージもあり、野卑なイメージとハードボイルド的エッセンスがあった甲斐バンドでは、これまでなかったことが不思議になる位、似合ってた曲だと感じていた。
この演奏で、これからしばらく演奏されるだろうと感じた感覚は、見事なまでに裏切られ、甲斐バンドが解散して甲斐よしひろがソロになったあるライブで、なんとバラード調にアレンジされて歌われた。
バカなことすんなよ、甲斐の感覚も思い切り歪んだな・・・
そう感じて、このライブ以降、何年も甲斐関係のライブには見向きもしなくなった。

♪ お前が欲しがってる 本物の愛 激しく胸ゆさぶる 火のような海
 それは気がふれたような街の中にはなく 夏のはじけ飛ぶ 闇の中にもない

 炎のベットに横たわり 誰かを待つ ロマンティックなサスペンス 男が現れ
 熱い傷口をいやす 強くたくましい愛撫 だけどそれはただの夢 お前を無残に打ちくだく

 マッスル 鋼鉄の魂が今 必要だ
 マッスル 俺たちの愛には 鉄の魂が要るのさ

 街を歩いて来なよ その笑顔で ネオンきらめくまぶしさ ふりまいて来なよ
 クールに熱気をやわらげる 街の雨になればいい だけど最後に叩く ドアはこの俺の胸だけさ

 マッスル 鋼鉄の魂が今 必要だ
 マッスル 俺たちの愛には 鉄の魂が要るのさ

 お前はひざまづき 許しを乞う すべての身をゆだね 白旗を揚げるさ
 Noはもう言わせない Yesとささやくのさ お前を胸に抱きしめ 今すぐ燃え上がるのさ

 マッスル 鋼鉄の魂が今 必要だ
 マッスル 俺たちの愛には 鉄の魂が要るのさ       ♪

 (作詞作曲:甲斐よしひろ)

人は心の生きもの。
頼り頼られ、それでいて自分をしっかり持っていないと風船のようにどこかへ飛んで行ってしまう生き物なのであり、それでいて精神的になかなか安定しない。
思うようにならないのが心情そのものなのであり、だからこそ生きてることに面白味を感じるのだけれど、硬く硬く揺らぐことない心情というのはどこかで夢見ていたいと思うもの。
そんなことを「マッスル」を聴いていると感じるんだ。

これは甲斐バンドを聴き始めた頃も今も変わっちゃいない。
変わってしまったのは甲斐バンド、甲斐よしひろであり、数年前「マッスル」をやっと原曲アレンジでやったけれど、歯が浮きそうな演奏で曲に隠された魅力など、微塵もなかった。

しかし、この曲は個人的に思い入れが相当強い曲だ。
もう脳裏に焼き付いてしまい、話されないような1曲になってる。
それでいいんだということも、どこかで思ってるんだ。







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# by mon1011s | 2017-01-06 22:15 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その2(破れたハートを売り物に)

ライブはBIGGIGが初めてだったけど、ボクの原点は「破れたハートを売り物に」だった。
アルバムそのものもそうだけど、その代表曲としての曲。
高校を卒業した3月のとある日、友人の家に集まってた時、このアルバムに触れた。
特のこの曲、飾りのない独特のうねりと引き込まれるような感じは何処から来るのだろうと思って、友人そっちのけで何回も聴いてた。
♪ 破れたハートを売り物にして 愛に飢えながら 一人さまよってる
 破れたハートを売り物にして うかれた街角で さまよい歌ってる

 あの雲を はらい落とし 長い嵐 二人のり越えて
 つきるまで 泣いたら涙ふきな お前と行きたい 一人ぼっちじゃいたくない

 破れたハートを売り物にして 愛に飢えながら 一人さまよってる
 破れたハートを売り物にして うかれた街角で さまよい歌ってる

 燃えるよな赤い帆を上げ海を お前を抱いて 渡ってゆきたい
 生きることを 素晴らしいと思いたい お前と行きたい 一人ぼっちはいやだ

 悲しみ柔らげ 痛み鎮める 終わることない雨のような 愛で包みたい
 雨の日も 風の日も 俺の愛は お前のものだから

 破れたハートを売り物にして 愛に飢えながら みんなさまよってる
 破れたハートを売り物にして うかれた街角で さまよい歌ってる
 破れたハートを売り物にして 愛に飢えながら 今夜さまよってる       ♪

 (作詞作曲:甲斐よしひろ)

やっぱり、「生きることを 素晴らしいと思いたい お前と行きたい 一人ぼっちはいやだ」このフレーズに心を持っていかれていたんだと思う。
それから数年、BIGGIGのラストを聴いた時、すぐにあの曲だと思って、ライブ終了後、レンタルレコードで過去の甲斐バンドの曲を探しまくる日々が続く始まりとなった。
自活する貧乏学生のボクにとっては、アルバムを買うまでは至らず。レンタルするのが精一杯だったこの時代。
この曲を聴いてるだけで、胸がいっぱいになった。
結婚するとき、子供ができた時の喜びの原点は、この曲のあのフレーズが原点だったと思う。
この曲に触れて、今日に至るまでの心の支えになってた曲で、本当に大事な曲だった。
だから、最初のアルバム発表以降、何度もリメイクされて再販されてたけど、原曲だけが「破れたハートを売り物に」と思ってたので見向きもしなかった。
シンプルイズベスト。
それがメッセージ性を高め、独特のうねりが印象度を高めることで記憶にズーっと残っていた。

人生いい時もあれば辛い時もある。」
そんな時はこの曲だと思った時代が多かった。
だから、こんなに演奏され続けることが辛く、この曲の持つ純度が薄まっていくのが辛いと思ってた時期もあった。
原曲のこの曲とリメイクされて以降のこの曲は別物。
もう記憶の世界にだけ、しっかり残っている。





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# by mon1011s | 2017-01-04 23:48 | 想い | Comments(0)

想いを馳せて~その1(ポップコーンをほおばって)

時が経っても、どんな時代になっても心に響いた意味がホンモノならば、その曲も持ってた意味は変わらない。
ボクにとっては、それが「ポップコーンをほおばって」だった。
自分の子供に障碍があると分かって、目の前にシャッターがいきなり落ちてきた時からなんとか陽が差し込もうとしたときも、この曲の「僕等は飛べない鳥じゃなかったはず 翼を広げたら きっと飛べたんだ 僕らは飛べない鳥じゃなかったはず」といフレーズが忘れられなかった、、、いや、頭の中でリフレインしていたと言ってもいいかもしれなかった。
両親が親としての役目を果たそうにもできなくなったボクの学生時代。
なんとか自活していかなきゃいけなくなったときも、この曲が支えになっていた。

ボクが甲斐バンドのライブに初めて参戦したのは、当時の新宿都有5号地ゾーンで行われたイベント「BIG GIG」だった。
「敗れたハートを売り物に」と「ダイナマイトが150㌧」以外は何も知らずにいたボクにとって、この曲はグングン胸の中に入ってきた曲でもあった。

♪ 映画を見るなら フランス映画さ
 若かった頃の君と僕の 想い出話は
 君が手を振り切った 二十歳の時
 埋もれ陽の道に すべては消えうせた

 僕等は飛べない鳥じゃなかったはず
 翼を広げたら きっと飛べたんだ
 僕らは飛べない鳥じゃなかったはず
 君は翼があることを知って恐かったんでしょう

 別れる為に君を抱きしめたんじゃない
 燃えつきるほど二人 生きちゃいないじゃない
 大都会 そんな痛み傷ついた街に
 ほんとの君は なぜ死んでしまったの

 ポップコーンをほおばって ポップコーンをほおばって
 天使達の声に耳を傾けている

 君の最後の言葉をおとしていく
 バスを追っかけて 追っかけて
 僕の青い声は いつのまにか
 こんなにこんなに 涸れてしまった

 教会の鐘が聞こえるかい
 天使の賛美歌は聞こえるかい
 悲しい君と僕のさよならは
 色あせた午後に 終わってしまった

 ポップコーンをほおばって ポップコーンをほおばって
 天使達の声に耳を傾けている

 ポップコーンをほおばって ポップコーンをほおばって
 天使達の声に耳を傾けている

 ポップコーンをほおばって ポップコーンをほおばって
 天使達の声に耳を傾けている       ♪

 (作詞作曲:甲斐よしひろ)

曲とライブ位しか甲斐に関する体験がないから、甲斐的なことなど語れない。
けれど、個人的にここまできて思うのは、甲斐バンド、甲斐よしひろというのは20世紀までのアーティストであって、今の時代に生きてるものじゃない。
21世紀になって甲斐バンドの名を語るものは全くの別物であり、それまでのものと同じと考えてはいけないと思う。
気が付いたのはここ5,6年位だけど、それでもまだ迷いはあった。
今はもう記憶の中に生きるものだと思ってるし、特に曲に関する想いはボク個人の財産だと思ってる。

このブログの最後を締めるにあたり、そうしたものを書いていこうと思った。
その最初が「ポップコーンをほおばって」であることは、ボクにとっては至極当然なこと。
テンポもリズムもいいし、ライブにおけるライティングにも実に味があっていい。
甲斐バンドの曲であり甲斐よしひろソロの曲でもあるこの曲。
でも、ボクにとっては強烈なメッセージソングだったんだ。




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# by mon1011s | 2017-01-02 16:56 | 想い | Comments(2)

暑い暑い一日だった

田舎の高校生だった自分は、HEROで甲斐バンドを知り、アルバム『破れたハートを売り物に』でファンになった。
悲しいかな、田舎だったので甲斐のライブには参戦できずにいたけど、気にもしてなかった。
大学2年の時、不意なことでライブ参戦チャンスを得、そこでは初ライブとなったのが「BIG GG」だった。

今の都庁が建っている場所、特に都議会上のところだけど、何故か空き地になっていてその辺りの高層ビルに行ったときはいつも気にしていた。
真夏の空き地、そこは日の光を遮るものがない西陽のまぶしいところでとにかく暑い場所だった。

ライブはブライトンロックから始まったけれど、その曲と共に2曲目でダイナマイトが150㌧が演奏されたときはもう興奮の坩堝。
中盤、ナイトウェイブの頃は心地いい音の広がりに身をゆだねていた感じで、隣の京王プラザホテルにライトがあたる様子を見る光景をよく見ていた思いがある。
このライブは「東京の一夜」がこの1曲と言われるけど、新参者の自分のにとっては「ポップコーンをほおばって」、「翼あるもの」の特が最高潮だったと思う。
ステージバックのストロボのカッティングが実に印象的で、その後ろの新宿住友ビルが大きなバックボーンになってる気がしてた。
ステージを取り囲む道路の欄干、果ては高層ビルの中からステージを見つめてる人たちもいて、こういう人たちも含めると、俗に言う観衆3万人以上の人たちがステージを見つめ、一つになってた気もする。
当時の自分にとって「きんぽうげ」も斬新で、イントロのギター音色が印象的だった。
「100万㌦ナイト」の時の甲斐の雄叫びもそうだけど、ミラーボールに照らされた高層ビルが、まるで大量の蛍が放たれたようで、実に綺麗だった。

ライブが終わった時、初ライブだった割りにはもう終わりなの?という感じだった。
それだけのめり込んでたということだったけど、それは自分も20代、ステージ上の甲斐も20代という若さがなせる業だったと言い換えることも出来る気がする。
ライブは制作サイドの苦心惨憺さがうまくすると如実に出て大成功ということがあるけれど、そこに参加した人たちの熱気も問題になる。
全てが最高潮でいい方向へ向かっていたんだろう。
暑い暑い一日だった。

あれから33年。
今日久しぶりにライブの模様をDVDで見た。
33年前のあの光景が帰ってくるようで、今では感じることがなくなったゾクゾク感が身体に沸いて涙腺が緩くなった。
一つの大きなイベントには、いろんな思い入れがある。
だからそういうイベント的ライブは意地に扱ってほしいし、そこへ立ち戻ることのようなことはやってほしくない。
いろんな人がいろんな思いを込めていたライブとその後日談は、あの日あの時あの場所でやったからこそいいのであり、いいものが出来上がった意味があって、価値があった。
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# by mon1011s | 2016-08-06 23:52 | 想い | Comments(0)